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切断蹴球Vol.32「A-pfeile広島AFC設立当初の課題」
- 2015/12/8
- コラム&インタビュー, 色々なスポーツ

さて、流れを本題に戻します。私は・・・私を含めたミーティングに集まった皆は、5月18日に設立したと言い切ったわけですが、言わばそれは勢いなわけでただただエンジンが裸のまま置いてあるだけの状態でした。それでは走り出さない。走り出すためには様々な課題をクリアしなければならなかった。そしてその課題を見つけ出すことから始めなければならなかった。チーム運営なんて素人の私としては色んな本を読みあさり、小学校の同級生(アンジュヴィオレの広報)に相談しながら少しずつ戦略を練っていきました。
当時挙げた課題を箇条書きにすると、
・練習地、練習場の確保
・ビラを配る施設の選択、候補地について(分担は?)
・選手獲得の方法
・フレンドリーマッチを開催する競技場の確保
・チーム名・エンブレムの決定
・ホームページの開設
・問い合わせ先、事務局住所と電話番号の決定
・スタッフの増員
・コミュニティサイトへの登録
・JAFAに対する要望・質問
です。
今考えると、よくこれら全てが決まっていない状態でチームを立ち上げると言えたなぁと我ながら笑ってしまいます。でもやると決めた以上は居ても立ってもいられず、その頃のスタッフには大変申し訳ないと思っています。良い思い出にできると良いのですが。
5/18以降我々はその課題に対してそれぞれができることを実践していきました。その頃新聞などをみて連絡をしてきてくれた方々が今もなお、選手やスタッフとして残っていることは本当にありがたい事です。それぞれのエピソードもちょっと話してみても良いかもしれませんね。
強烈に残っているのは「比奈多」のおばちゃんですね。未だ私が東大にいた頃、その頃持ち始めた2台目の携帯電話(通称:アフィーレフォン)に昼休憩時間中に急に連絡があり慌てて廊下に飛び出したのを思い出します。
電話を取ってみると、
「あのぉ~、広島でお好み焼き屋をやっている〇〇と言う者ですがアフィーレ広島の連絡先はこちらで宜しいですか?」と初老の女性の声が・・・。
「新聞を見て電話しました。うちとこは月曜から土曜まで営業しとって、日曜日は定休日なんよ。私も何か役に立ちたいと思って、もし日曜日が練習とかあるんじゃったら、終わってから来んさい。残り物というわけじゃないんじゃけど日曜じゃったら他の客もおらんし貸切じゃけぇ練習の打ち上げみたいな感じで適当に出しちゃるよ」
・・・と言われました。まさかですよね、新聞でみただけ、どんなやつかも分からない私に対して、電話をかけてくれるだけでも有難いのに食事も出してくれると。どうしてですか?と少し話を聞いていると、
「なんのこたぁないわいね、うちの母も義足じゃったんよ。新聞の記事を見てなんかしちゃらなと思うてね、うちの息子3人もサッカーしとったし。気軽に来てぇな」
・・・と。
電話口で泣きそうになりました。
こういう方たちの繋がりが当時本当に嬉しかった。もちろん今でも声をかけて下さる皆さんには本当に感謝しています。いまでも繋がりのあるおばちゃん、いつも有難うございます。