切断蹴球Vol.29「抱き始めたチーム設立の夢」
- 2015/11/2
- 色々なスポーツ
やっとここまで来ました。歴史とは名ばかりで、私がA-pfeile広島AFCへの妄想を抱くまでのアンプティサッカーとの関わりを中心にこれまで書いてきましたが、これからは第2部とでも言いましょうか、A-pfeile広島について少しずつ思い出しながらお伝えしていこうと思います。
さて、ということでロシアのワールドカップを終え、FCガサルスに戻った私は、世界から持ち帰った様々な課題をまずはスタッフに預けました。その頃は比較的簡単にロシアでの試合の映像、動画が手に入りましたのですでに観ているスタッフもいましたが、やはり現実的に、実感として伝えるのは非常に難しかったですね。一緒に帯同し、部屋も一緒だった半澤GKコーチとともにどのように伝えたら良いか迷ったのを覚えています。前回まで書いてきた課題を箇条書きで伝えると、「やっぱりそうだろうね」というニュアンスの返事しかなかった。私としては「いやいやそんな簡単なものではなくて、危機感を持って積極的に改革しないと次回のW-cupも同じ目に会うよ!」と言いたい・・・実際言いましたが、それくらい伝わらなかったです。でも、日本にいると、合同練習や練習試合といっても日本の中でしかできないわけで、段々と慣れていってしまう。私の感覚も慣れていってしまう。そうなれば、W-cupに行ってからまた改めて気付くということになりそうで、それじゃあせっかく高いお金出して付いて行った意味がない。それを選手にもスタッフにも気付いて欲しかったし、私としても新たなモチベーションとして行動に移したかった。それが日本全国に親しまれているスポーツであるべきだ、競技者数を増やして日本全体のレベルを底上げする、日本が強くなることで注目度は上がり全国的な普及のスピードが上がる、という考えに繋がり、最終的には「広島にチームを作る」になったんだと思います。ただし、いつも講演会などに呼ばれた時に話をするのは、私が広島に立ち上げたいと思った最大の理由は、「こんなに魅力的な、面白いスポーツがあるのに、何で故郷広島にないのか、どうしても伝えたい」と思ったことです。そして「私にとって、このスポーツの選手達はこれまで出会った人間の中で最も魅力的な人種である、広島にもそんな人が隠れているなら是非会ってみたい」という好奇心でした。ということで、選手達が調子に乗らないように今週はこれくらいにします(笑)。