切断蹴球Vol.7「アンプティサッカーの歴史 日本編Ⅳ」

 私がアンプティサッカーを知ったのは2011年の4月、Drの勉強会に参加して鉄道弘済会にお邪魔した時でした。その時名刺を交わした理学療法士が、イングランドサッカー協会公認のトレーナーの資格に気づいて紹介してくれたのがきっかけでした。私としてはその施設の特化した技術と職員のプライド、目的の分かり易さに感動しっぱなしだったところへ、さらに大好きなサッカー、しかも切断者のサッカー、と好奇心を揺さぶられ続けた忘れられない勉強会です。

 さて、そんな時にも協会は次の普及活動に着手していました。私は6月からアンプティサッカー界初の専属トレーナーとしてFC Gatharsec(FCガサルス)の一員となりますが、その時には未だ日本にガサルスを含めて2 or 3チームしかなく、競技人口も20人程度だったんじゃないかと思います。それでも協会は第1回の日本アンプティサッカー選手権大会を開催します。全国にたくさんチームがあるわけではなく、各地域で予選があるわけでもなく、事実上の国内既存チーム総当たりクラブNo.1決定戦となりました。

 

結果は、

第一回日本アンプティサッカー選手権大会 全試合結果

第1試合            TSA FC                        0-7        FC九州バイラオール

第2試合            FC Gatharsec               8-0        TSA FC

第3試合            FC九州バイラオール     2-5        FC Gatharsec

 

となり、FC Gatharsecの優勝!

この時の優勝はスタッフとして本当に純粋に嬉しかった・・・と言いたいところですがこの大会で私は本部トレーナーを任されていましたので、立場上、選手達と一緒に喜びを分かち合えない寂しさをほんの少しだけ感じたのを今この文章を書きながら思い出しました。この時代はまだまだ日本の実力が伝道師エンヒッキ選手に引っ張られ過ぎていた時代ですね。

普及、発展、色々な思いが協会にはあったと思いますが、一スタッフとしては何とか大きな怪我もなくやり遂げほっとした記憶があります。

さて続きは次回。日本人選手も徐々に実力をつけてきた時代に突入します。

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apfeileA-pfeile(アフィーレ)広島代表 坂光

投稿者プロフィール

A-pfeile広島という障害者サッカー団体で代表を務めております坂光と申します。健常者と障害者の垣根を越えた交流や障害の理解、スタッフとして関わるための基礎知識など障害者スポーツ全般、スポーツ全般のトピックスを更新していきますので宜しくお願いします。

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