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切断蹴球Vol.30「A-pfeile広島AFC誕生」
- 2015/11/9
- コラム&インタビュー

いよいよA-pfeile広島AFCの誕生秘話について書いていこうと思います。実際にはロシアから帰って、11月くらいから本格的に広島にチームを作ることを考えていました。はじめは全く具体的ではなく、今になって考えてみると本当に無謀だったと思います。最近でも言われるのが、「エンジンだけでは車は走らない」です。そんなことを言われた時、以前の私ならそれならと周りを固めに動いたかも知れませんが、この度は不思議と、「エンジンがなければ車は走らない」と言い返して先に進もうともがいていました。何かを0から始めようとする時、前者だとスタートラインにすら立てない気がします。
そんな無謀な考えを持ったまま月日が過ぎ、4月2日のエイプリルフール翌日にSNSを通じて広島でアンプティサッカーのチームを立ち上げる意思がある事を知り合いに告げ、協力スタッフを募集しました。
実はこの時、私はまだ東京から広島に帰る事を考えていませんでした。広島にチームを作るにあたり、私はマネージメントや選手の募集、全国的な普及活動を行い、広島での活動は広島にいるスタッフに任せようとしていたからです。
しかしそんな甘いものではなかったですね。やはりクラブチームを立ち上げ、運営していくにつれて、広島のチームに東京で関わることに違和感と無力感を感じました。私がやりたかったのはこんな関わり方ではないと思い立って東大を辞めました。その後広島大学病院に就職するわけですが、今思うと明らかに人生の節目であったと感じています。5月18日にチームを立ち上げ、「A-pfeile広島AFC」と名乗って8月まで、私は毎月東京から広島に帰りミーティングに参加しました。といってもミーティングは私が招集をかけるのですが・・・。
というわけで、今週はここまでで来週はアフィーレ広島設立当初の課題についてです。