切断蹴球Vol.5「アンプティサッカーの歴史 日本編Ⅱ」
- 2015/4/7
- 色々なスポーツ
引き続きアンプティサッカーの歴史 日本編です。 先週はアンプティサッカーを日本に伝えたヒッキ選手の話、そこから始まって初めてチームが設立されたところで終わりました。私が上京したのが2010年4月でしたので、ちょうどその年に日本初のアンプティサッカーチームと協会が誕生したことになります。縁を感じずにはいられませんね。ただ、そんなチームが日本にある事もそんなスポーツがあることすらその時は知りませんでした。ですから私が出会う2011年6月までの間に協会や選手がどのような活動をしてきたのかは実際には知りません。しかし、今自分がチームを立ち上げて運営する立場になって初めて、楽しかっただろうなあと思います。 話が逸れました。その後日本はほぼFC Gatharsecの選手がそのまま日本代表となり初めてアンプティサッカーワールドカップアルゼンチン大会に出場します。 結果は
- 予選リーグA組第1戦 日本VSアルゼンチン 0-8
- 予選リーグA組第2戦 日本VSウクライナ 0-7
- 予選リーグA組第3戦 日本VSフランス 0-6
- 順位決定戦第1試合 日本VSエルサルバドル 0-4
- 順位決定戦第2試合 日本VSフランス 1-3
全敗、コテンパンでした。 この時は皆どんな気持ちで、日の丸を背負ってアルゼンチンに向かったのでしょうか?今度当時の選手達に聞いてみたいと思います。 そしてこの最後の試合の1点がどんなに重みのある1点であったか、数字を見ただけでも鳥肌が立ちます。この時の動画は見たことがある方もいらっしゃるかも知れませんが、感動しますよ!私が思うには、無理をしてでもこのアルゼンチン大会に出場したことが、その後の日本のアンプティサッカー界にとって大変有意義な事だったと感じています。 では、また来週。