切断蹴球Vol.4「アンプティサッカーの歴史 日本編Ⅰ」
- 2015/3/30
- 色々なスポーツ

今回はアンプティサッカーが日本にはどのようにして伝わったのか?です。
日本にアンプティサッカーが伝えられたのは2008年、日系ブラジル人のHenrique Matsumora Dias(エンヒッキ・松茂良・ジアス)(写真)が来日したことに始まります。彼は5歳の頃に交通事故で右足を失いました。それから様々な人と出会い、挫折も経験し、18歳の時にはアンプティサッカーブラジル代表に選出されています。そんな彼が日本に仕事で来日することになり、「日本にはなんでアンプティサッカーが無いんだ?」と思ったと聞いたことがあります。無いんなら作れば良いや。と普及を始めるわけですが、一人では難しく、声をかけたのが同じ会社のサッカー好きな先輩。その方は知的障害を持つサッカー選手の指導をされていて、後に(現在もですが)アンプティサッカー日本代表の監督となる杉野さんです。
はじめは杉野さんが指導している知的サッカーチームに混ざってボールを蹴っていたそうです。ボールを蹴るのに健常も障害も男女も老若のない、楽しいものは楽しい、そんな気持ちが自然と芽生えたと言っていました。サッカーという競技の一番良い特徴かもしれませんね。言葉はいらない、ただその辺にボールを転がせば自然と人が集まってサッカーが始まる。そんな感じでアンプティサッカーも始まっていったようです。
その後、義足の製作でお世話になっていた鉄道弘済会の義肢装具士齋藤さんの呼びかけで徐々に選手が集まり始め、2010年日本で初めてのアンプティサッカーチーム「FC Gatharsec(ガサルス)」が誕生します。その設立に合わせて日本アンプティサッカー協会(JAFA)も設立されました。
この続きはまた来週!!